第3回:日本語教育に潜む地域間格差の実態(2020年7月6日)

垣内 哲(日本語教師センター副会長)

 

コロナ禍で日本語教育機関におけるオンライン授業が解禁された。恩恵を授かるのは留学生であろうが、視野を広げると、これは国内に在留する外国人が誰でもどこでも遠隔教育で日本語を学ぶことができるというエポックメイキングの始まりかもしれない。技術大国を誇る日本だけに当の昔に達成されていたかのように思われるが、実態はほとんど進んでいなかった。外国人は面接授業を受けるために教室まで足を運ばなければならず、環境に恵まれないばかりに日本語学習を諦める者もいた。そして、あまり知られていないが、彼らの夢を阻んだ要因は「日本語教育の地域間格差」である。

 

文化庁が発表した「平成30年度国内の日本語教育の概要」によると、国内には25万9,711人の日本語学習者がいる。都道府県別では東京(8万2,770人)、大阪(1万8,652人)、愛知(1万7,648人)、神奈川(1万4,184人)、福岡(1万3,587人)、埼玉(1万2,475人)、千葉(1万2,181人)などに集中している。彼らの多くは日本語教育が受けられる機関・施設等に通うが、学習者の人数に比例してそれらが地域に設置されているとは限らない。上記の資料によると、最も多くの機関・施設等があるのは東京(363)で、大阪(157)、愛知(153)、埼玉(116)、兵庫・千葉(109)、福岡(107)が続く。一方、少ないのは鳥取(7)、和歌山・高知・宮崎(11)、青森(13)、福井・山梨・大分(14)で、先の地域とは比べようがないほど大きな開きがある。機関・施設数が少なければ、学習者の選択肢は限られる。自宅から遠い機関・施設等まで学びに行かなければならないかもしれない。日本語教育における地域間格差は学習の利便性や効率性という極めて重要な事項に関わるわけだ。

 

学習者の人数を機関・施設等の数で割った「一機関当たりの学習者数」では、東京(228.0人)、群馬(184.5人)、神奈川(159.3人)、栃木(146.5人)、大分(142.7人)、福岡(126.9人)、京都(118.9人)、大阪(118.8人)が多い。これらを分析するにあたっては、学習者の人数に対して機関・施設等の数が少ないために受け入れる側の負担が増していると捉えるか、各々の機関・施設等が大規模なために多くの人数が学ぶことができていると捉えるか、深く検討する余地がある。対照的に、少ないのは山形(20.1人)、岩手(22.2人)、徳島(29.2人)、和歌山(30.4人)、滋賀(32.1人)、秋田(33.7人)、福島・富山(34.6人)、新潟(35.2人)で、多い地域と比べると100人以上の差がある。

日本語教師の人数に目を向けると、報酬を得ているプロフェッショナルは東京(6,175人)、大阪(1,554人)、福岡(967人)、愛知(879人)、兵庫(803人)、千葉(795人)、神奈川(645人)に多く、ボランティアは東京(3,042人)、大阪(2,412人)、愛知(2,292人)、兵庫(2,005人)、神奈川(1,958人)、千葉(1,690人)、埼玉(1,418人)に多い。プロフェッショナルがボランティアを上回っているのは、北海道、宮城、秋田、東京、山梨、京都、福岡、長崎、大分、宮崎、鹿児島、沖縄の12都道府県のみで、多くの地域ではボランティアが日本語教育を支えているという現実が浮かび上がる。

 

学習者の人数を日本語教師(プロフェッショナル+ボランティア)の人数で割った「一教師当たりの学習者数」では、栃木(12.1人)、山梨(10.7人)、島根(10.4人)、山口(11.8人)、群馬(9.9人)、福岡(9.5人)、熊本(9.4人)が多い。少ないのは岩手・山形(2.4人)、福島(3.4人)、滋賀(2.8人)、兵庫(3.6人)、奈良(3.7人)、三重・佐賀(4.2人)だ。この数値はST比(※Student-Teacher比率)と呼ばれ、初等・中等教育では比率が低いほど評価が高いとされる。一人ひとりの学習者に丁寧な指導が行きわたるからだ。しかし、日本語学習では比率が高く且つあらゆる国籍が混ざれば、教室内の活動に多様性が生まれて、学習効果が増すかもしれない。日本語教育の地域間格差は公教育のそれとは異なる物差しで測る必要があり、丁寧な分析が求められる。

 

ところで、日本語教育の地域間格差は肝心の在留外国人にどのように映っているだろうか。それ以前に彼らはこうした情報を入手できているだろうか。日本語教師の目線では、地域間格差をなるべく無くそうとすることに注力しがちだ。しかし、学習者の目線では、どの地域で、どのような日本語学習を、どのように受けられるのかという基本的な情報を知り得ないために、その身を最も適した教育環境に置けないことのほうが懸念すべき事項ではないか。

 

日本語教育の推進が法的にも認められる時代がやってきた。新たな一歩に日本語教育関係者のみならず、在留外国人も期待に胸を膨らませているだろう。ところが、水面下では地域間格差が日本語学習の障害になっているかもしれないという危惧が潜んでいる。結局、日本語教育をいくら推進したところで、学習者の目線に立っていない策を施すのであれば、期待を裏切る結果にもなりかねない。日本語教育の大義名分という全体論、日本語教育の方法という局所論、そのどちらも必要だが、どうやら目を光らせるべきは他にもありそうだ。

 

参 考

文化庁:平成30年度国内の日本語教育の概要

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