垣内 哲(日本語教師センター副会長)
日本語教育機関の留学生が就職活動に失敗し、内定をもらえないまま卒業したとする。本来ならば在留資格「留学」の期限が切れるために帰国するほかないが、「特定活動」に変更することにより就職活動を続けられる場所がある。そんな夢のような話を可能にする「国家戦略特別区域(国家戦略特区)」をご存知だろうか。
話は小泉政権下の2001年まで遡る。時の首相は従来の社会規制を取っ払う構造改革を断行するために経済財政諮問会議に「経済財政運営と構造改革に関する基本方針」(通称「骨太の方針」。現在は「経済財政運営の基本方針」)を答申させた。同方針は毎年6~7月に閣議決定され、これを基に各省庁が政策を実行することになった。有名どころでは郵政民営化の検討(2001年)、三位一体改革(2003年)、戦後レジームからの脱却(2007年)などがあり、最近では在留資格「特定技能」の創設が話題になった外国人労働者の受け入れ拡大(2018年)が知られている。
2002年、中心政策とされたのが構造改革特別区域の設置だった。国に特別区域(特区)として認定された場所では従来の規制に縛られず自由に政策を敷くことができるというもので、十分な効果が確認された場合は全国政策として拡大していく構想だった。政権が民主党(当時)に移った後も特区構想は続き、2011年には政策資源の集中的投下によって先駆的な取り組みをしていく総合特別区域が新設された。その後、自由民主党が政権を取り戻すと、2013年には「活用できる地域を厳格に限定し、国の成長戦略に資する岩盤規制改革に突破口を開く」(内閣府)ことを目的とした国家戦略特区が創られた。
内閣府によると、仙北市、仙台市、新潟市、東京圏(東京都・神奈川県・千葉市・成田市)、愛知県、関西圏(大阪府・兵庫県・京都府)、養父市、広島県及び今治市、福岡市及び北九州市、沖縄県の10地区が国家戦略特区に指定されており、複数分野で規制改革が進行している。そのひとつが「外国人材」で、例えば、家事支援を仕事とする外国人は入国及び在留ができないが(※外交官や高度外国人材などが雇用すれば可能)、東京都、神奈川県、千葉市、愛知県、大阪府、兵庫県ではそれが認められている。「家事代行業」における外国人材の受け入れを規制緩和により行っているのだ。また、日本で創業したい外国人は2人以上の常勤職員の雇用や事業所の確保などが上陸条件とされているが、仙台市、新潟市、東京都、神奈川県、愛知県、広島県、今治市、福岡市、北九州市では上陸から6か月後までに条件を満たすことができると各自治体が判断すれば、在留資格「経営・管理」が付与されて入国できる。「スタートアップビザ」と名付けられた制度で、事業体制が整っていなくても創業できるようになった。
さて、冒頭の留学生である。2020年2月14日、日本語教育機関の留学生(海外大学出身者に限る)が卒業後も就職活動を続けられるように在留資格を「留学」から「特定活動」に変更して1年間在留できるという規制改革が実施された。これまでは日本の高等教育機関を卒業した留学生のみに適用されていた制度だが、その対象範囲が広げられたわけだ。当初は北九州市が唯一の活用地区となり、4月に北九州YMCA学園の留学生が全国で初めて在留資格を変更した。3か月後には九州医療スポーツ専門学校日本語科の留学生も在留資格変更が認められ、規制改革の活用がじわりと浸透した。すると、9月には東京圏、愛知県、関西圏、福岡市及び北九州市による合同国家戦略特別区域会議が開かれ、歴史的な一歩が刻まれた。千葉市、成田市、愛知県の2市1県が在留資格変更の活用地区に加わったのである。とりわけ千葉県の2市で規制改革が断行される意味は大きい。両市で留学生の就職が増えれば、次は日本語教育機関業界の一丁目一番地である東京都においても規制改革の狼煙が上がるだろうからだ。
とはいえ、この政策は業界内の格差につながる可能性もある。活用地区の日本語教育機関に留学希望者が殺到し、それ以外は学生募集に苦戦することが容易に想像できる。全国で800校を超え、いまや飽和状態との指摘もある日本語教育機関だが、淘汰が始まるとすれば、一連の出来事が入り口となるかもしれない。問題の根はさらに深く、留学生の差別につながる可能性がある。そもそも、日本語教育機関の所在地を理由に在留資格の変更の可否という人生を大きく左右する権利の有無を決めていいのだろうか。在留資格とは外国人を人種、出身国、宗教、住所、家族構成などではなく、在留の目的によって一律に分ける法的根拠である。それが揺らぎかねない今こそ慎重な議論が必要とされている。
参 考
北九州市:全国初!「海外大学卒業留学生の就職活動特区」北九州市国家戦略特別区域・ 海外大学卒業外国人留学生の就職活動支援事業
東京圏国家戦略特別区域会議:東京圏国家戦略特別区域区域計画(案)
愛知県国家戦略特別区域会議:愛知県国家戦略特別区域計画(案)