第8回:アジア最大級の団地に見る「共生」の意味ー前編(2020年11月6日)

垣内 哲(日本語教師センター副会長)

 

埼玉県川口市にアジア最大級の団地がある。この10年間で中国人住民が急増し、戸惑う日本人は共生を模索するようになった。今回は日本語教育から少し離れ、外国人と暮らすことについて考える、その後編。

 

関東地方を南北に結ぶJR京浜東北線。荒川橋梁から西側に走ると埼玉県に入り、3つ目に蕨駅がある。新宿駅まで乗り継ぎで50分という利便性の高い駅だ。北東へ5分ほど歩くと右手にビル群が現れる。埼玉県川口市芝園町の川口芝園団地だ。鉄道車両などを製造する日本車輌製造の蕨工場が撤退した跡地に建てられ、1978年に入居が始まった。15階程度の高層ビルがいくつも並ぶ大規模団地で、とりわけ複数のビルが500メートル以上もつながる1~3号棟は巨大な壁のようでもある。ちなみに、芝園町は団地の建設とともに誕生した町で、町内には芝園ハイツという団地から1年遅れて作られた集合住宅も存在するが、戸建ては数戸しかなく、14.3㎢の広大な敷地における住居のほぼ全てが集合住宅で形成されている。

 

川口芝園団地は建設段階から人気を集め、新築時の入居者は抽選によって決められた。家賃は当時の相場より高く、さらに毎年少しずつ値上がりする傾斜家賃制度だったが、1DKと2DKには応募者が殺到した。多くは20~40代の夫婦または子どものいる家族で、彼らには憧れの住まいだった。町内には小学校、中学校、郵便局、銀行、病院、スーパーマーケット、個人商店などが揃い、団地から一歩も出ずに生活できるという点も魅力的だった。当初から町は活気づき、朝は通勤通学する住人でエレベーターが溢れ、その集団が駅まで列をなして歩いた。夕方は運動場で遊ぶ子どもを母親が迎えに来て一緒にスーパーマーケットへ行くので、店内が親子で賑わった。川口芝園団地とは昭和後期における忙しさと豊かさを写す鏡のような場所だった。

 

 

そんな団地に異変が起こったのは1990年代後半だった。留学生や就学生として来日し、その後、日本で就職したニューカマーの中国人住民が増え始めたのだ。築20年に近づき、時代とともに日本人の入居希望者が減ると、「外国人も入居可能」という当時では数少ない条件に彼らが飛びついた。中国人はひとたび定着すると、次から次へと仲間を呼び寄せた。1997年、芝園町の住人は日本人5,309人・外国人207人だったが、10年後の2007年には日本人3,617人・外国人1,560人となり、両者の差が急激に縮まった。その後も中国人は増え続け、ついに2015年11月、日本人2,531人・外国人2,576人で逆転。団地の誕生から37年目の出来事だった。

 

異変はこれだけに留まらず、日本人の子どもが減ったことで町内の小学校が2008年、中学校が2013年にそれぞれ閉校となった。日本人が経営していた個人商店は中国人向けの雑貨屋や飲食店に変わり、体育館など団地内の施設では中国人が卓球やバドミントンに興じる姿が当たり前となった。中国人が増えたことで住民の間には新たなトラブルも生まれた。ゴミの分別や騒音に加えて、香辛料の臭い、夕涼みのための外出など中国人特有の生活習慣に日本人から苦情が出た。ついには、エレベーターに「ここで用を足すべからず」という主旨のビラが中国語で貼られるまでに至り、かつての面影は失われていった。

流れは悪い方へと傾きつつあった。2010年には排外主義団体が団地に押しかけ、「『排害』と記された小旗を掲げ、『侵略実態調査』と称して団地内を練り歩き、辺り構わず写真を撮っては、それをネットにアップした」(安田)。棟と棟の間にある遊び場のベンチには差別的な落書きもされた。全国を見渡しても、外国人住民が少なかった時代に川口芝園団地は奇異な存在で、面白おかしく書きたてるメディアまで登場した。治安悪化を危惧した団地の自治会は管理元の都市再生機構に対して、中国人住民を増やさないよう願い入れたという。

 

もっとも、日本人住民だけで暮らしていた時代も日々平穏というわけではなかった。空き巣や変質者が出没したり、飛び降り自殺があったりした。冬になれば、ホームレスがビルの中に避難して寒さを凌ぐこともあった。そんな彼らに冷たい視線を送る住民もいれば、食料を分け与える住民もいた。憧れの住まいとされていた川口芝園団地だが、蓋を開ければ、他の町と同様に人間生活の功罪が存在した。しかし、時が経ち、過去を語れる者は僅かになった。いつしか日本人と中国人の分断が進み、危機感だけが募っていった。

 

そんななか、2014年に一人の日本人男性が団地に住み始める。彼は生活習慣の違いという構造的な問題が潜んでいることに気づき、「共生」よりも先に「共存」していく必要があると考えた。そして、周囲を巻き込みながら、日本人と中国人の橋渡しをするべく動き出していった。

(後編に続く)

 

参 考

川口市:かわぐちの人口第5表町丁字別人口PDF

安田浩一:“限界集落” 団地から考える移民と高齢化問題

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