垣内 哲(日本語教師センター副会長)
2020年7月、長野県が全国初となる取り組みを開始した。日本語教育に関する経験や能力を有する人材・機関とそれを必要とする団体等をつなげる「しんしゅう日本語教育等人材バンク」だ。職業紹介を行政主導で行うという画期的な動きはいかにして始まったのか。
長野県は一口では言い表せない多様性を持つ。面積は全国4位の1万3,561㎢、南北の長さは約220㎞にも及び、その広さゆえに南部と北部では気候はもちろん、食文化などの生活習慣も異なるという。そんな信州で1990年代からブラジル人と中国人が急激に増え、広大な県土の隅々で多文化共生が求められた。1998年の長野冬季五輪は県民の意識を変えるきっかけとなり、「通訳ボランティア強化トレーニングセミナー」「国際交流ボランティア養成講座」などが立て続けに開かれた。ただ、それらはボランティア頼みの多文化共生を意味しており、とりわけ五輪後は行政が緊縮財政を強いられたことから、大々的な公的支援が得られたわけではなかった。
「転換期は2014年だった」と長野県国際化協会の春原(すのはら)直美相談役は語る。ボランティアの日本語教室に参加したのをきっかけに30年近くも長野県の多文化共生に関わってきた人物だ。春原の提案をもとに実現した政策もあり、その功績は文化庁長官表彰(文化発信部門・2016年)や長野県県知事表彰(国際交流/多文化共生・2019年)を受けるなど広く知られている。2014年、長野県は外国籍県民と地域社会の架け橋となるバイリンガル人材を育成し、彼らを活用した日本語教室を実施するという文化庁の「バイリンガル指導者を活用した日本語学習支援事業」を受託した。県土が広いために長野市のみでの実施となったが、日本語能力試験N2以上の外国人36人に対して7日間・計28時間の「バイリンガル日本語指導者育成講座」を開き、その受講者が実際に日本語を教える「外国人コミュニティのための日本語教室」も成功させた。さらに2016年、「長野県多文化共生推進指針」を策定し、多様性を活用した豊かな地域を目指すことを宣言した。県単位でこのような指針を設けたのは長野県が最初で、策定委員を務めた春原は「行政がようやく重い腰を上げた」と振り返る。
順調に見えた多文化共生への道のりだが、躓きもあった。「バイリンガル指導者を活用した日本語学習支援事業」は2016年に長野県国際化協会に委託され、この年限りで終了。以降も継続的な仕組みは作られなかった。しかし、日本語教育人材を育てるという信念だけは残り、2018年に文化庁の「日本語学習支援者養成・研修カリキュラム開発事業」を行政で唯一受託する。学習者の日本語習得を手伝う「日本語交流員」を養成するためのカリキュラムや教材を開発・作成したり、養成のための研修会を実施したりした。初年度の研修会は松本市と上田市で計10回開かれ、56人が修了するなど大盛況だった。続く2019年、県から各地域に日本語教師と日本語交流員が派遣される「日本語学習モデル教室」が始まり、日本語教育に関する調査や助言、モデル教室の整備などを行う地域日本語教育コーディネーターも配置された。そして同年には満を持して「長野県多文化共生推進指針」が改定され、重点施策として「外国人児童生徒等の日本語教育の充実」「地域における日本語教育の充実」「『やさしい日本語』の普及」などが盛り込まれた。この中の「地域における日本語教育の充実」が冒頭の「しんしゅう日本語教育等人材バンク」の創設につながっていく。日本語教育人材や日本語教育機関などが登録すると長野県を通じて市町村や企業に紹介され、マッチングすれば、市町村や企業が抱える学習者に日本語を教えるという仕組みだ。
改定指針の策定検討会で構成員を務めた春原は「日本語教育の必要性が具体的に訴えられたことに意味がある」と語る。「改定前は継続性のない内容だったが、改定後は継続性がある指針に変わっている。人材バンクは最たる例で、日本語教育人材が飽和の場所と枯渇している場所の調整弁を県が責任を持ってやると決断した」。職業紹介業者はいくらでもあり、長野県は外部に発注することもできたはずだ。しかし、それでは金の切れ目が縁の切れ目となってしまう。長野県の覚悟には弱者を助ける奉仕の精神で多文化共生に挑戦し続けた矜持が垣間見える。
その矜持が強くなったのは人材バンクの構想よりずっと以前の2002年、長野県で外国籍児童就学援助委員会という任意団体が設立された頃だった。県内には日本の公的教育機関に通っていない外国籍の子どもが多く、彼らは母国語教室に通っていたが、その授業料などが負担になっていた。そこで寄付金を募り、子どもたちへの奨学支援金制度や母国語教室への助成金制度などを創設した。サンタ・プロジェクトと名付けられた活動は官民を巻き込む運動となり、2005年からは年会費(個人1,000円、法人10,000円)で支援する賛助会員の募集も始まった。今では個人会員19人、法人会員54社の賛同を得るまでになった(2020年8月時点)。春原は共編『共生—ナガノの挑戦 官・民・学協働の多国籍住民学習支援』において、こう記している。
「どうして長野県では、サンタ・プロジェクトのような取り組みを開始することができたんですか?」と尋ねられますが、それを一言で語るのは、実は至難の業なのです。 ~中略~ お手本とすべき前例のない状況で、新たな枠組みやシステム、政策を形作っていくことは、一つの目標に向かって一つずつ石を積み上げていくというよりは、むしろ、「我々の進んでいる方向に間違いはないか?」と検証しながら、ジャングルの中に道を切り開きながら進んでいくようなものだからです。 ~中略~ 今いる地点(場所)は、いきなり落下傘で降り立ったのではなく、ここにたどり着くのにもさまざまな森や谷、川を越えてきたのです。しかしながら、高い空から見下ろしてみると、グルグル同じ場所を回っているだけかもしれませんし、10年後、20年後に振り返ってみると、当初の目的と全然違った場所にたどりついているかもしれません。
参 考
平高史也、野山広、春原直美、熊谷晃編『共生—ナガノの挑戦 官・民・学協働の多国籍住民学習支援』